「ゾンビの中心で、愛をさけぶ」 感想 夫婦愛の再生すら演出できてしまう万能素材ゾンビ

概要

原題:Zoo
製作:2018年デンマーク・スウェーデン
発売:TCエンタテイメント
監督:アントニオ・トゥーブレン
出演:ゾーイ・タッパー/エド・スペリーアス/アントニア・キャンベル=ヒューズ/ヤン・ベイヴート

カレンとジョンの結婚生活は崩壊寸前。
一緒にいても刺激もなく、生ける屍のような暮らし。
ある日、人々がゾンビ化する伝染病が発生し、外では感染がみるみる拡大。
ふたりは感染しないようマンションの部屋に閉じこもり、救助を待つことに。
しかし、状況が悪化する中、ゾンビだけじゃなく、食料を狙った強盗や怪しい生存者たちがふたりに襲いかかる。
突如訪れたサバイバル生活に刺激され、ふたりの愛は再燃し始める。
(↑TCエンタテイメントHPより)

予告編



感想


私は愛とか恋とかが題材の映画が一番キライです。
人生でワースト1の映画が「タイタニック」と断言できるぐらい。
そのうえジャンルとしての「ゾンビ映画」もさほど好きではありません。

が、そんな人間でも思わずレジに持って行ってしまうこの腐れ邦題…
正直嫌いではないです。

お前のような奴がいるからこの手のクソ邦題が後を絶たないんだよ!と罵られてもしょうがないけど、だからと言ってこれを無視するわけにもいかないでしょう。原題の「Zoo」も別に良いタイトルとは思えんし。




「いま、会いにゆきます」に対する「いま、殺りにゆきます」
「世界の中心で愛を叫ぶ」に対する「ゾンビの中心で愛を叫ぶ」


まあ「いま、殺りにゆきます」とは違って、世界だろうとゾンビだろうと本作が夫婦の愛を描いた映画であることには変わりありません。ゾンビというものはサメやワニなんかと違って昔からゾンビそのものが主題なのではなく、ゾンビを用いて他の何かを浮き彫りにしたり風刺したり皮肉ってみたりする演出小道具のようなものに過ぎないのです。私がサメ映画やワニ映画ほどゾンビ映画に惹かれない理由はそこら辺にあるような気もします。後で気づいたんですが、本作の宣伝文句は相当ひどくて、

「ゾンビ映画なのにオシャレ!?」
「ゾンビ映画なのに胸キュン!?」

などと、さぶいぼが出そうな言語センス。
先にこれを見ていたら絶対借りなかった。
オシャレで胸キュンなゾンビなんか見たくないよ。
でも最近そういうオシャンティーなのがゾンビ映画界では流行っているらしいですね。
「アナと世界の終わり」だとか「高慢と偏見とゾンビ」だとか…

そういう今風でシャレオツなゾンビ映画を好んで借りてるサブカル系人種にはオラフ・イッテンバッハの「新ゾンビ」を見せてやりてえ。あれDVD化されてないんですよね。される必要もないけど。ハナクソを飛ばすシーンが汚すぎてトラウマなんです。

ゾンビってのはさあ…ルチオ・フルチの「サンゲリア」みたいなものであるべきなんですよ。ああいう汚物と臓物にまみれた殺戮の終末世界で目玉を貫かれながら愛を語れるものなら語ってみるがよろしい。それぐらいやってくれれば私にも愛の尊さの何たるかが伝わるかもしれません。

しかし、本作にはゾンビはほぼ出てきません。出演時間1分未満。舞台はマンションの1室だけでそこに籠っていれば安心安全、実に小綺麗な世界です。これはもうサメが出てこないサメ映画みたいになっちゃってる。マンションに閉じ込められた離婚寸前の夫婦が、他にやることもないから何となく愛を再燃させてるだけにしか見えない。勝手にやってくれって感じです。転がり込んできた隣人との嫌味バトルはちょっと面白かったけどあまり意味のないパートだったような。原題の「Zoo」はこの夫婦を動物園のゴリラでも眺めるような感覚で観ろっていう意味なんですかね? まあ、愛とか恋とかがテーマの映画が好きな人なら楽しめるのかもしれませんが、私にはちょっと難しかったです。



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