日本だけでなくアメリカでも65歳で引退できない暗黒時代が来るらしい


「『引退』の終焉、米国も65歳以降働く時代へ」

…という記事をウォールストリートジャーナルで読みました。

何が「終焉」なの!
勝手に終わらせないでくださいよ!

せっかくセミリタイアを夢見て米国株に投資しまくっているのに、なぜこんな水を差されるようなことを言われねばならんのでしょうか。もしかして生涯現役が世界的潮流なのか? 冗談じゃねえですよ。古代ローマの奴隷でも解放される手段はいくつかあったというのに、現代の奴隷は解放される手段がなくなりつつあると? 誠に遺憾です。

もしも私が65歳以降も働かざるを得ないとなると、道北の少子高齢化からの衰退具合を考慮すると将来的には




↑おそらくこのような荒んだ生活を送る羽目になるかと思われます。





美しすぎるブラック大国日本がそのような世紀末的ディストピアへと邁進していることは知っていましたが、まさかポロニアの国アメリカでもそのような風潮が蔓延り出しているとは看過できない事態。
だがなぜそんなことになっているのか。


しかし記事を読んでみると結局のところ、「引退してもやることがない」のが最大の問題であるようです。つまんない理由。

…ただ、そう言われると確かに、私も仕事以外に大してやることがないせいでこのブログの更新頻度が無駄に高い状態です。もし引退したら1日10回は更新できてしまうのではないでしょうか。

しかしこれはある意味仕事で常に縛られているせいもあると思うんですよね。

たとえば一昨日などせっかくの連休中なのにファイルサーバがフリーズしたと連絡があり、わざわざ出社して再起動する羽目に陥りました。365日営業の会社を相手にしているとこういうことがあるから困る。

たまたま昼寝中だったから出社して対応出来ましたが、これがもし連休だからって冬山登山で絶壁ビバーク中だったとか、ケージダイブしてサメと戯れている最中だったりすると大変面倒なことになりかねない。まあそんなことするお金もありませんが。

それなら下手に趣味を持つより家で昼寝するかZ級映画を観てクソブログでも更新していた方がいいってことになってしまうんです。


つまり休みが少なく低賃金の仕事であればあるほど仕事中心の人生設計をせねばならず、仕事に影響が出ない範囲で他に打ち込めるものを探すのが難しいということです。そしてそれこそが旧来型の日本企業が社員を永続的に繫ぎ止めておく罠であり鎖なのです。

結婚して所帯を持つべきだとか、ローンで一戸建てを買うとか、いつかはクラウンだとか、どれもこれもサラリーマンを一生忠実な奴隷でいさせるために時間をかけて洗脳してきた偽りの価値観です。これによって21世紀の庶民は本来享受すべき自由を不当に搾取されている状態と言っても過言ではないでしょう。まあ車は私も持っちゃってますが。


また65歳で引退しにくい理由として、「今の60代は少し前の40代と見た目は変わらない」と言われているぐらい健康寿命が延びているのもあります。
これは別に悪いことではないはずなんですが、だからと言ってその分仕事しろとなると、刑期が長引くだけで何のための健康寿命だかわかりゃしません。


しかし当然ながら我が美しすぎる島国とポロニア国ではだいぶ様子が違っているようで、WSJがこの記事で言ってるのは「人が健全に生きるためには社会的な満足感が必要で、そのためには労働が適している。でも今後はテクノロジーの発展でますます柔軟な労働形態が実現するから、65歳以降も働き続けてもほどほどに悪くない人生が送れるようになるよ」っていう、どちらかと言えばポジティブな話のようです。
確かにそれなら悪くない。悪くないが、日本がそうなるとは到底思えないのがつらい。「65歳を過ぎても引退させない」ってところだけ真似されるに決まってます。


そんな世間の風潮がどうであろうと関係なく真の自由を勝ち取るためには、一刻も早く株式の配当金とブログ収入を積み上げていくしかありません。しかし、今のところ配当金はNISAを駆使しても年間約10万円がやっとで、ブログ収入は1日8円あるかないかというレベル。セミリタイアには少なくともこの20~30倍は必要です。冷静に考えると10年やそこらじゃ到底無理そうなんですよね。あとはもう持ち株が10倍20倍になることを願うしかないが、そこまでいくともう宝くじとあまり変わらない希望の持ち方です。現代日本は古代ローマの奴隷より解放条件が厳しくなっているのではないか?


こうして思考を整理してブログ記事にしてみると、絶望がより深まるばかりということが分かりました。
大人しくサメ映画でも観て現実逃避していた方が良さそうですね。
まあそのサメ映画も最近新作が全然出なくて深刻な飢餓状態に陥ってるんですが。

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