概要
原題:Pet Sematary製作:2019年アメリカ
配給:東和ピクチャーズ
監督:ケヴィン・コルシュ/デニス・ウィドマイヤー
出演:ジェイソン・クラーク/エイミー・サイメッツ/ジョン・リスゴー/ナオミ・フレネット
医者のルイス・クリードとその家族は都会からメイン州の田舎町に越してきた。隣人のジャドとも仲良くなり、平穏な生活が送れると思われた。道を激しく行きかうトラックを除いては…。
そしてある日、クリード家の飼い猫チャーチがトラックにはねられて死んでしまう。ジャドはルイスを森の中にある「ペット・セマタリー」とさらにその奥にあるミクマク族の聖地へと連れていく。そこにチャーチを埋めると、彼は生き返った。しかし、中身は邪悪な何かに変わっていた…。
予告編
感想
スティーヴン・キングの「ペット・セマタリー」二度目の映画化。
メアリー・ランバート監督の1989年版を観たのは中学生の頃なのでもうあまり細部は覚えてませんが、非常に印象深いトラウマ映画の一つです。
その後原作小説も読みましたが、「ペット・セマタリー」はストーリー自体はものすごくシンプルな話です。普通にリメイクしたのでは原作や89年版と大した差は出せないはず。
なので今回のリメイク版はどんな味付けがなされているのかなあと楽しみに劇場へ行ったら、いきなりポスターでネタバレされてしまいました。
いや~…あのポスターはないわ。「10クローバーフィールド:レーン」以来のド直球嫌がらせポスター。視界に入った瞬間にリメイク版のキモが分かってしまうキャッチコピー。頼むからもうちょいボカしてくださいよ。そのものズバリ書かれてしまっては、オリジナルを知ってる人にも知らない人にも優しくない。なんであんな身もフタもない宣伝の仕方やらかしちゃうの? わざわざモロバレせんでも、素直に「時には、死の方がいいこともある」でいいじゃないですか。
ついでに言うと邦題が89年版と同じ「ペット・セメタリー」なのもいかがなものか。なぜそこに要らんこだわりを見せる? せっかく2度目の映画化なんだから今度こそ正しく誤字って「ペット・セマタリー」とするべきでしょうに。配給会社の考えることはほんとに分からんなあ。
まあでも、劇場で観られただけでも感謝するとします。
内容の方ですが、前半は原作小説にかなり忠実です。
都会からメイン州のド田舎に越してきた医者のルイス・クリードとその妻レイチェル、娘エリー、息子ゲイジ、ペットのチャーチ。隣人のジャドと親睦を深めつつ穏やかな日々を過ごすうち、近所の森に「ペットの霊園」があることを知る。
原作からカットされているのは、ジャドの妻ノーマ。本作ではすでに故人となっています。ノーマがいないと本作の悲劇は大体全部ジャドが悪いように見えてしまうのが困ったところ。本当はめちゃくちゃいい人なんですよ。まあ、100分程度の尺に収めるためには細部が犠牲になるのも仕方ありませんが、本作を気に入った人はぜひ原作も読んでみて頂きたいですね。
逆にやたらパワーアップしてるのが、レイチェルの姉ゼルダの描写。子供の頃に重度の髄膜炎を患い、苦しみ抜いて亡くなったことがレイチェルのトラウマとなっているわけですが、それにしてもあの死に方はあまりにおぞましくドギツくてビックリ仰天。トラウマ映画のリメイクに新たなトラウマポイントが加わってしまった。ここはさすが「セーラ 少女覚醒」を撮った監督の面目躍如といったところです。
ところで原作もそうなんですが、クリード家の幸せ一杯な日常描写が結構長いんですよね。それでも家の前を激走するトラックやルイスが救えなかった患者パスコーなど不穏なホラー要素はたびたび入ってはくるものの、前半でクリード家にガッツリ感情移入させられてしまいます。
こういう時、ホラー映画を見に来てるのに「別に何も起こらなくてもいいのになあ…」などと不覚にも平和を願ってしまうことがあります。アホな若者グループならやられてもいいってわけじゃないけど、何の罪もない仲良し一家が破滅するのはあんまり楽しくはならない。
しかしそんな願いもむなしく、エリーの愛猫ウィンストン・チャーチルがトラックにはねられて死んでしまいます。すごくどうでもいい話なんですが、この名前って私が今飼ってるインコと同じなんですよね。もちろん私が「ペット・セマタリー」を意識して名付けたわけではなく、単なる偶然ですが。「ウィンストン・チャーチル」という名前には何かペットに付けたくなる響きがあるのかもしれません。
まあそれはさておき、「エリーを悲しませたくない」という理由で、ジャドはルイスをミクマク族の聖地へ連れて行ってしまいます。ジャドに言われるがまま「ペット霊園」のさらに奥にあるそこへチャーチを埋葬するルイス。するとその晩、クリード家に死んだはずのチャーチが生きて帰ってくる。しかし彼は以前と違い、鈍く、汚く、臭く、そして少し凶暴になっていた。それはもうチャーチではなかったのだ。
大人になった今見ると、死生観について色々考えさせられる話です。
医者ゆえに死を自然なもの、いつも隣り合わせである身近なものとしてとらえ、死後の世界も信じてはいないルイス。過去のトラウマから、「死」に異常なほどの拒否感を示し、父親が子供にそれについて教育することさえ妨害してしまうレイチェル。
多くのアメリカ人は死後の世界を信じているそうですから、ルイスのドライな考え方はあちらでは異端なのかもしれません。無神論者はルイスの方に共感しやすい。ただ、それゆえにルイスはミクマク族の聖地への誘惑に抗えなかったのかと考えると、人には宗教が必要なのかもしれないとも思ったり。
(※以下ネタバレ)
原作でも89年版でも、チャーチの次にトラックにはねられて死亡するのは2歳の長男ゲイジでしたが、本作ではねられてしまうのは娘のエリーの方。
これはかなりのサプライズでした。
ポスターでネタバレさえしてなかったらな!
…比べられるようなもんでもないが、物心ついてない幼児よりも9歳の娘の方がより悲痛に感じましたね。
ただまあ、やってることは基本的に同じなので、娘だろうと息子だろうと物語上大きな差異は生まれません。89年版と全く同じにするのもなんだから、ちょっと変化を付けてみただけという感じではある。
しかし、結末は大きく変えられています。レイチェルを埋めに行くのがルイスではなくエリーになってるのはさすがに反則くさい。仲間を増やすのが目的になっちゃってるし。邪悪な別物になってしまうと分かっていながら、それでもどうしても生き返らせずにはおれないルイスの苦悩と狂気が失われてしまった。これはもったいない。それに、あのミクマク族の聖地はただ埋めればいいってもんじゃなかったと思うんですが。
…とまあ結末にはケチを付けたくなったものの、リメイクとしては充分良作だったと思います。昔はよく「スティーヴン・キング原作の映画はクソばっかし」って言われてたもんですが、最近は全然そんなことないですね。次は「地獄のデビル・トラック」か「マングラー」あたりをリメイクしてくれないかな。
そういやラスト近くで後ろの観客が「ああぁ…」と絶望的なうめき声を漏らしていたのが印象的でした。確かにここまで徹底的なバッドエンドは最近あまりなかったかもしれませんが、原作に比べたら全然マシな終わり方なんですけどね。あそこまで感情移入して映画鑑賞できたらさぞかし楽しいだろうなあ。
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